家では元気なのに学校では話せない――それって場面緘黙?ASD?父親として悩んだ記録

日記(日々のこと)

「家では元気いっぱいに話すのに、学校ではまったく声を出さないんです」

最初に担任の先生からそう言われたとき、正直なところ「うちの子が?」という気持ちでした。確かに、少し人見知りはある。でも、家ではくだらない冗談を飛ばして笑い合ったり、くねくねと変な踊りを踊りながら僕のところに寄ってきたりと、感情豊かで、よく話す子です。

そんな息子が、学校では別人のように黙り込んでいる――そのことに戸惑いと心配を抱きつつ、「もしかして、これが場面緘黙というものなのかもしれない」と考えるようになりました。

この記事では、診断待ちの父親の視点から、場面緘黙とASD(自閉スペクトラム症)との間で揺れる思いを正直に綴っていきます。息子の行動の背景にあるものを知ろうとする過程で、自分自身の子ども時代とも向き合うことになりました。

「普通とは何か」「どうすればこの子にとっていい環境になるのか」――そんな問いを抱えるすべての親御さんに、少しでも届けばうれしいです。

家では笑って話す、でも外では無言──場面緘黙かと思っていた

家の中では本当に表情豊かです。くだらないダンスで笑わせてきたり、「パパ〜」と甘えた声で寄ってきたり。そんな彼が、外に出た瞬間、急に声が小さくなる。ある日、学校で偶然一緒になったときには、「お父さん」と呼ばれました。

最初、誰のことを呼んでいるのか分かりませんでした。普段は「パパ」と呼んでいるから。聞き返すと、バツの悪そうな顔をして、話をそらしました。あえて「お父さん」と呼んだのは、まわりの友達の目を気にしてのことだったのでしょう。

その時、僕は初めてはっきりと「この子は外の世界では、自分なりに演じているんだ」と感じました。

そのギャップに気づいたとき、「もしかして場面緘黙なのでは?」という考えが頭に浮かびました。家ではよくしゃべるのに、学校では話せなくなる。話したい気持ちはあるけど、声が出ない。その説明が息子の様子と重なった気がしたのです。

だから、最初にそう医師に伝えました。「場面緘黙ではないでしょうか」と。

医師や支援の先生から出てきた“ASD”という言葉

「家でしゃべれるなら、場面緘黙かもしれませんね」――最初はそう言ってもらえるのではないかと、どこか期待していました。診断の途中で、医師や支援の先生に息子の様子を伝えると、「自閉スペクトラム症(ASD)の傾向もあるかもしれませんね」と返ってきました。

正直、戸惑いました。自閉症という言葉には、親としてどうしても身構えてしまうものがあると思います。「うちの子がそんなはずはない」「ちゃんと話すし、笑うし、感情も豊かだし」と。

でも、説明を聞いていく中で少しずつ分かってきました。

ASDは「話せない」ことが問題ではなく、「人との距離感」「言葉の使い方」「場面の理解」に特性が出ること。つまり、話せるかどうかではなく、“どのように”人と関わるかに独特な傾向があるということ。

「目は合うし、好きなものの話なら一方的に話せる。でも雑談や初対面では黙り込む」 「冗談を真に受けてしまう、または言葉の裏を読むのが苦手」 「感覚過敏がある(大きな音、肌ざわりなど)」

こうした特徴は、実はうちの子にも思い当たる節がありました。特に、学校のような複雑な人間関係やルールの多い環境では、彼なりに頑張って“合わせよう”としていたのかもしれません。

僕自身、診断という言葉に最初は動揺しました。でも、よく考えると、これは「線引き」ではなく「理解するための手がかり」に過ぎないのだと思うようになりました。

診断がつくかどうかにかかわらず、息子が今「少し困っている」のであれば、その困りごとを言語化し、支える方法を一緒に探していく。そのほうがよっぽど大事なことだと感じています。

ただひとつ心配なのは、診断までの時間がまだ少しかかること。今は予約待ちで、実際の検査は8月の予定です。こうした支援機関が混み合っているのは、それだけ同じように悩む家庭が多いということなのでしょう。

僕たちはまだ診断を受けたわけではありません。でも、「ASDかも」と言われた瞬間から、息子を違う目で見るようになってしまった自分がいるのも事実です。その違和感や葛藤も、ここに記録しておこうと思います。

自分の子ども時代とそっくりだった

最近、息子を見ていて「なんだか昔の自分を見ているようだ」と思うことが増えてきました。

外では無口で、どこかよそよそしく見られがち。でも、家に帰ると突然スイッチが入ったようにふざけたり、甘えたりしてくる。人と関わるときの距離のとり方が、なんともぎこちない。そして、まわりに合わせすぎて疲れて帰ってくる。

……ああ、これ、まさに昔の自分だ。

僕も、子どもの頃は「おとなしいね」「もっと自分を出せばいいのに」と言われてきた。 言葉の裏を読むのが苦手で、冗談が冗談として理解できず、みんなが笑っている理由が分からないまま、ただ笑っていたこともある。 そして、誰にもそれを説明できず、「自分が悪いんだ」と思い込んでいた。

今、息子が見せる小さな違和感や困りごとが、僕の中に眠っていた“当時の息苦しさ”を掘り起こしてくる。 彼が感じている戸惑いや不安が、手に取るようにわかってしまうのが、つらくもあり、ありがたくもあります。

「この子は、僕の未来をもう一度歩いているんじゃないか」 そんな風に思う瞬間もある。 でも、だからこそ、違う選択肢や環境を用意してやれるはずだとも思っています。

僕の時代にはなかった「理解される」ということ。 僕の時代にはなかった「相談してもいい場所」。 そしてなにより、「そのままで大丈夫だよ」と言ってくれる存在。

そういうものを、今の僕が息子に用意してあげられるなら、それが僕自身にとっての“過去の救い”にもなる気がしています。

もちろん、「親だからできること」には限界もある。 でも、あの頃の僕が欲しかった“理解者”に、自分がなれるかもしれない――そう思うと、前を向ける気がしています。

今、できることは記録しながら見守ること

診断の予約が取れたのは、8月。 まだ2か月以上も先のことだと知ったとき、正直、焦る気持ちがありました。 「そんなに待っている間に、何か大事なタイミングを逃してしまうんじゃないか」 「今すぐ何かしないと、この子にとってよくないんじゃないか」

でも、同時にこうも思いました。 「今、無理に結論を出さず、じっくり見守る時間にしよう」と。

そのときから、僕は記録をつけるようになりました。 ふざけているとき、黙りこむとき、イラッとしたとき、優しさがにじむとき。 一見なんでもない日常の中に、彼の「困っているサイン」や「嬉しいサイン」が混ざっているのではないかと思って。

書き留めることで、感情の揺れに飲み込まれず、少し距離をとって整理ができる。 「あのとき急に怒ったのは、緊張していたからかもしれない」 「今日はくねくねダンスがなかったな、疲れていたのかな」 そんな風に振り返って、少しずつ息子の“説明書”のようなものが見えてきた気がします。

記録は、自分の心の支えでもあります。 ASDなのか、場面緘黙なのか、あるいは違うのか―― まだ何もはっきりしていない状況で、不安や迷いに押しつぶされそうになる夜もある。

でも、そんなとき、ノートを開いて思い出すんです。 ニキビが気になる年頃になったこと。 泡立て2点の洗顔を見て笑ったこと。 「お父さん」と呼んだあと、照れて「パパ」と言い直したこと。

そこには、「困っている子」や「診断が必要な子」じゃなくて、 ただの“僕の息子”がいます。

今できるのは、焦らず、見逃さず、記録しながら待つこと。 そう思えるようになったのは、何もできない時間を、意味のある時間に変える選択だったのかもしれません。

まとめ:診断よりも大事なのは、目の前の子どもと向き合うこと

「家では元気なのに、学校では話さない」

この違いに気づいたとき、僕の中に浮かんだのは「場面緘黙」という言葉でした。

でも、医師や支援の先生と話す中で、「ASD(自閉スペクトラム症)」という可能性もあると知りました。戸惑い、揺れました。

息子は笑います。ふざけてくれます。甘えてきます。ニキビを気にしながら、泡立て2点の洗顔を披露してきます。

そんな姿を見ていると、「診断」という言葉の重さが少しずつ変わっていきました。

診断名がついたからといって、その子が急に変わるわけじゃない。 診断がつかないからといって、困っていないわけでもない。

大切なのは、「今この子がどんなふうに生きているか」「何に困って、何を楽しいと感じているのか」。 その輪郭を、親として少しずつなぞっていくことなんだと思います。

僕は今、記録を残しています。ふざけた日も、ムスッとした日も、なにげない会話も全部。

それは、この子の成長の証であり、僕自身が「父親としてどう向き合っているか」の記録でもあります。

息子は、昔の自分によく似ています。 だからこそ、違う未来を一緒に作っていきたい。 あの頃の自分が願っていた「わかってくれる誰か」に、僕がなれたらいい。

診断がつくかどうかは、たしかに大きな出来事です。 でも、それよりもずっと大切なのは、**目の前の子どもと、丁寧に向き合うこと。** 変わらず「パパ〜」と寄ってくる彼に、「変わらずのパパ」でいること。

もしこの記事を読んでくれている方が、同じように揺れている親御さんだったなら、伝えたいです。

焦らなくて大丈夫。 孤独にならなくて大丈夫。 あなたが感じた違和感や「なんか気になる」は、きっとその子の世界を照らすヒントです。

これからも、揺れながら、記録を続けていきます。 そしていつか、今日のこの迷いさえも、大切な一部だったと思える日が来ることを信じて。

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