病院の先生にこう言われた。
「ASD(自閉スペクトラム症)の可能性があるかもしれませんね」
正式な診断はこれから。まだ検査もしていない。 それでも、その一言は、僕の中でずっと重く響いている。
病院の帰り道、心臓の鼓動が強くなっていた。 仕事に戻ったものの、何ひとつ頭に入ってこない。
なんとなく、手元の書類に目を落としながら、何度も浮かぶのは彼の顔だった。 学校での姿、家でのふるまい、そして昨夜の笑顔—— 「本当にASDなのか?」という疑問と、「もしそうだったらどうすればいい?」という不安が交互に押し寄せてきた。
そして僕は、そっと上司に「頭が痛くて……」と伝えた。 本当は、胸の中がぎゅっと締め付けられて、どうにも仕事を続けられなかった。
これは、「やる気が出ない」なんてレベルの話じゃなかった。 眼の前が真っ暗になったような、まるで未来の道筋がすべて閉ざされたような感覚。
でも帰っても何かが変わるわけじゃない。 それでも、どうしても、今は自分の中のこの感情に蓋をすることができなかった。
ASDかもしれない——病院の先生の言葉
病院で息子を見てもらったのは、学校での「場面緘黙かもしれない」という指摘がきっかけだった。
家では普通に話せるけれど、学校では声が出づらいことがある。 そのことを相談したくて、発達外来を受診した。
まさかその流れで、ASDの可能性を告げられるとは思っていなかった。
先生はやさしく、落ち着いた口調で言った。
「まだはっきりとは言えませんが、特徴の一部にASD的な傾向も見られるかもしれません。検査を受けてみてください」
頭では理解できても、心がついてこない。
家ではふざけて笑っているあの子が、どうして—— 本当に?そんなはずは? でも確かに、そうかもしれない……
疑いと混乱と、そして少しの納得がぐちゃぐちゃになって、 仕事どころじゃなくなってしまった。
それでも、向き合わなきゃいけない。
父として、現実から目を逸らし続けるわけにはいかない。
だけど今日は、無理だった。
ふざけて、笑って、パンチしてきた昨日の夜
その日の夜、息子は学校から早く帰ってきて、ソファーで昼寝をしていた。
中体連があったらしく、いつもより早い下校だったようだ。 僕が帰宅したときには、すでに彼は毛布にくるまってぐっすり眠っていた。
そして夜。寝つけなかったのか、仕事中の僕のもとへやってきた。
「昼寝しちゃったから、眠れないんだよね」と小さな声。
僕はモニターから顔を上げて、「そうか」とだけ返した。
すると彼は、いきなり僕のお腹にパンチをしてきた。
「すごいめりこむね!」
余計なお世話だと思った。
笑いながら、ふざけて言う。
その瞬間、力が入りすぎたのか、ブッと小さな音。
「なんか出たよ……」
僕がそう言うと、彼は少し恥ずかしそうな顔をした。
おならの話でゲラゲラ笑って、くだらない話をしながら、 僕はふと思いついて「ハムラビ法典って知ってるか?」と聞いた。
- 「泥棒したらどうなる?」
- 「何か取られる?」
- 「違うよ。悪いことをする“手”が切られるんだ」
- 「じゃあ、パンチしたら?」
- 「手?」
- 「そうだね」
- 「じゃあ、おならしたら?」
- (少し考えて)「……お尻の穴、ふさがれる?」
「サッシが良くて助かるよ」といいながら立ち上がるふりをすると、 彼は笑いながら叫んだ。
「逃げろー! おやすみなさーい!」
そのまま走って、寝室へ消えていった。
その後ろ姿を見て、僕は少しだけ、肩の力が抜けた気がした。
本当にASD? それでも彼は、彼だ
あの夜のやりとりを思い返すたびに、どうしても思ってしまう。
——こんなふうに笑って、ふざけて、 くだらない冗談で笑い合って、 僕にパンチして、おならして、 最後は「逃げろー!」と叫びながら寝室に走っていったあの子が——
本当にASDなんだろうか?
そんなふうに疑ってしまう。
でも、たぶんその疑問の奥には、 「そうじゃなかったらいいのに」という願いも混ざっている。
少し前の自分なら、もっと強く否定していたかもしれない。 でも今は、ほんの少しだけ、 ——そうかもしれない、と思っている自分がいる。
そして、それとは別に、もう一つの気持ちもちゃんとある。
たとえASDだとしても、診断がどうだとしても、 彼は彼だということ。
他の誰かと比べる必要なんてない。 何かの枠に当てはめて測るような存在でもない。
僕の前でふざけて、冗談を言って、笑ってくれる彼は、 僕の息子で、それ以上でもそれ以下でもない。
——その答えは、自分の中で出ていたはずだった。
だけど今日、僕はその確信を保ち続けることができなかった。
気づけば会社を出ていて、頭が痛いと嘘をついていた。
心の中では、「大丈夫だ」と何度も言い聞かせていたのに、 体のどこかが、そうじゃなかった。
答えを出したつもりでも、人の心ってそんなに強くはないんだと思う。
今日は立ち止まる日。無理に進まない
朝起きて、仕事に行って、いつも通りを演じて、 でも心の中は、昨日からまったく動いていなかった。
自分では「答えを出した」つもりだった。
彼は彼、息子は息子。それ以上もそれ以下もない。
そう思っていたし、そう信じたかった。
でも、現実はそう簡単にはいかない。
ひとつ何かを受け入れるたびに、また別の不安が顔を出す。
将来のこと。 学校のこと。 友達との関係。 僕にできること。
考え始めるとキリがなくて、 気づけば、何も手につかなくなっていた。
だから今日は、立ち止まる日にした。
無理して強くならなくていい。
「大丈夫なふり」をしなくていい。
こんな日があってもいい。
ただ、呼吸を整えて、心が揺れるのをそのまま感じる日。
夜、息子の「おやすみー!」という声が聞こえたら、 それだけで、今日をちゃんと生きたって思いたい。
まとめ:誰かのためじゃなく、自分の心の整理として
この文章は、誰かの役に立つ情報じゃない。
ASDについて詳しく語れるわけでもないし、 「こうすればうまくいく」とアドバイスができるわけでもない。
ただ、息子のことを考えて、 自分の中に湧いてきた気持ちを、 そのまま文章にして残した。
こんなにも愛しくて、こんなにも不安で、 こんなにも答えが見えなくなる存在——
それが、僕にとっての「親になる」ということなのかもしれない。
今日、何も手につかなくてよかった。 早退してよかった。 立ち止まって、思いっきり揺れてよかった。
そしてまた、あの「おやすみー!」の声を聞いて、 少しだけ前に進んでいけたらいい。
この記録が、 いつか僕自身がもう一度迷ったとき、 ちゃんと立ち戻れる場所になるように。
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