※想定を交えた仮稿です。実際の出来事や家族の発言の記録とは区別し、今後見直します。
「今日はどうだった?」。もし僕が一日の話を聞こうとしてこの言葉を使ったら、相手にはどれくらい広い質問として届くだろう。楽しかったこと、面倒だったこと、特に何もなかったこと。一日を一言にするのは、案外大きな作業なのかもしれない。
質問を増やせば聞けるのか
返事が短いと、別の質問を続けたくなる場面を想像する。誰といたのか、何をしたのか、困ったことはなかったか。けれど、質問の数が増えたからといって、話したいことが増えるとは限らない。
逆に、具体的に聞けば答えやすい場合もあるだろう。だから決まった聞き方を正解にするより、答える余裕があるかを見ながら、いったん待つという選択を持てるか。そこを考えてみたい。
聞きたいことと、話したいこと
親が知りたいのは学校での出来事でも、子どもが話したいのは別の話かもしれない。仮に好きな作品の話が始まったら、それを学校の質問へ戻す前に、今その話をしていることを受け取る。話題を選ぶ余地も、会話の中に残せるだろうか。
黙っている理由も、一つには決められない。疲れている、思い出している、今は話したくない、そもそも答えを求められたと感じていない。実際の理由を聞いていないなら、親の推測で埋めないようにしたい。
この文章は、息子や娘が何かを打ち明けた記録ではない。もし会話を振り返るなら、何を聞いたかだけでなく、そのあとにどれくらい相手の番を残したかも見てみる。次の質問を急がない、という仮の試みだ。


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