小学生のダンス発表会。
わが子の成長を感じられる特別な場面ですが、ふとした瞬間に「あれ?うちの子、ちょっと印象薄い?」なんて思ったことはありませんか?
うちの娘も、今回の発表会で“いい位置”をもらっていたはずなのに、なぜか不安そうな表情で踊っていました。ダンスや振り付けはばっちり、髪型もキマっている。なのに他の子と比べて、どこか目立たない……。
そんな中、客席からふと目が合ったその瞬間。
僕は思わず“変顔”で笑わせてしまいました。
すると娘の動きが変わったんです。笑顔が戻り、表情が生きて、見ているこちらの心にも伝わるようになった。
この記事では、そんな「発表会での一瞬のやり取り」から感じた、
子どもの表情管理の重要性と、“支える親のちょっとした工夫”について書いていきます。
子どもが「うまいポジション」にいるのに、なぜ印象が薄くなるのか?
うちの娘は、今回のダンス発表会で、いわゆる「うまい子たちのグループ」に入っていた。
見せ場のパートも何度かあり、立ち位置的にも中心に近い。フォーメーションも振りもばっちり揃っていて、先生からの信頼も厚そうだ。
髪型も整えていて、いかにも「本番に向けてしっかり準備してきた」という感じ。
でも——なぜか、印象に残らなかった。
客席で見ていた僕は、その理由がすぐにわかった。
他の子との「表情」と「目元」の差
周りの子たちは、ちゃんと舞台用のメイクをしていた。
アイラインやマスカラで目元がぱっちり強調されていて、ステージの強い照明の中でも、笑顔やクールな表情がしっかり伝わってくる。
一方、うちの娘はノーメイク。
普段はそれでもいいけど、ステージの上では「表情が飛ぶ」。
しかも、緊張からか不安そうな表情になっていて、せっかくの立ち位置も動きも、うまく届いてこない。
「慣れ」が生んだ、キレのない所作
本人はたぶん、振りは完全に覚えている。
むしろ、練習を真面目にしてきたからこそ「流れで踊る」ことができてしまっている。
でもそれが裏目に出ると、所作が雑に見えたり、ひとつひとつの動きの“輪郭”がぼやけてしまう。
キレがなくなり、「ただ流れてるだけ」の印象になってしまうのだ。
「うまい」だけでは足りない時期にきている
本人の中で、きっとステージに立つことが当たり前になってきた。
それはすごく大事なことだけど、それと同時に「どう見せるか」という意識が抜けると、逆に“埋もれてしまう”。
うまく踊れている、真面目に練習している——
それだけでは、ステージ上では「伝わらない」ことがある。
それに気づいたのは、ある一瞬だった。
娘と目が合ったその瞬間。
僕はとっさに“変顔”をした。
客席から、大人が本気でバカみたいな顔をする。
それだけで、娘の顔がふっとゆるんだ。
表情が変わったそのあとのダンス
驚いたような顔で笑った娘は、その直後から明らかに変わった。
動きが軽くなり、表情が戻ってきた。
ぎこちなさが抜けて、笑顔が出てきて、「ちゃんと見せる」意識が戻ってきたようだった。
もしかしたら、表情管理のことを思い出したのかもしれない。
あるいは、ただ安心しただけかもしれない。
でもあの一瞬が、ステージ上の彼女の姿を大きく変えたことは間違いなかった。
「伝える力」は、小さなきっかけで開く
今回の発表会で、娘の踊りは間違いなく“上手な子”のそれだった。
振りは正確、立ち位置も見せ場もバッチリ。練習してきた成果が、きちんと形になっていた。
でも、僕が強く感じたのは「伝わる力は技術だけじゃない」ということ。
どれだけ踊りがうまくても、表情が曇っていたり、目元がぼやけていたら印象に残りづらい。
逆に、ちょっとした笑顔、ちょっとした“目の力”があるだけで、ステージの上の存在感はガラッと変わる。
そのきっかけを、たまたま僕の変顔が作れたのかもしれない。
娘がどんな気持ちでステージに立っていたかは、正直わからない。
緊張していたのか、不安だったのか、あるいは“ちゃんとやらなきゃ”という責任感で表情が固くなっていたのかもしれない。
でも、あの瞬間の笑顔があったからこそ、
彼女自身も「あ、もっと楽しんでいいんだ」「見せるってこういうことかも」と思えたんじゃないかなと思う。
最近は、少しずつ娘が“子ども”から“少女”になってきた。
昼は不機嫌でつんけんしてても、夜には甘えて膝の上に乗ってくる。
そんなギャップに戸惑うこともあるけれど、
彼女なりに、自分の居場所を確かめながら、安心と自立を行ったり来たりしているのだろう。
発表会は、ダンスの発表だけじゃなく、
親にとっても「成長の気づきの発表会」だった。
技術や評価だけじゃない。
ステージでどう輝けるか、その“鍵”は案外、家での笑顔とか、
日常のひとこと、目と目が合ったときの“変顔”にあったりする。
娘の成長はまだまだこれから。
でも、ステージの上で少しずつ「見せ方」を学んでいく彼女の姿を、
これからもそっと、でも確かに支えていきたいと思った。
コメント