病院で「ASD(自閉スペクトラム症)かもしれません」と言われたとき、正直なところ、どう受け止めていいのか分かりませんでした。
「うちの子、場面緘黙だろう」と思っていたし、家では普通に冗談も言うし、ふざけることも怒ることもある。
それでも、先生の一言で“特性”や“診断名”のことが急に現実味を持って目の前に現れてきた――そんな感覚でした。
もし同じように「ASDかもしれません」と言われてモヤモヤしている親御さんがいたら、この記事が少しでも気持ちを楽にするヒントになれば嬉しいです。
今回は、「ASDかもしれない」と言われてからの、僕自身の悩みや心の整理について正直に書いてみます。
ASD(自閉スペクトラム症)かもしれない――診断を受けて思ったこと
診断を受けたきっかけは、学校や家での様子を見て「もしかしたら場面緘黙かも?」と思い、専門の先生に相談したことでした。
ところが、病院の先生は部屋に入った瞬間「ASDの特徴があるかもしれません」と見立てていたそうです。
家ではリラックスして話すし、冗談も言うし、「本当にASDなの?」という気持ちが最初は正直なところでした。
「グッド・ドクター」みたいな分かりやすい特徴もないし、普段の生活に困っている様子もなかったからです。
「ASDって何だろう?」「本当に問題なのかな?」――そう考える中で、本やネットで調べたり、ASDに関する本をリビングにそっと置いてみたり。
息子もときどきパラパラと本をめくっていますが、特に説明もしすぎず、日常のなかにそっと混ぜておくぐらいが今は心地よく感じています。
ASDかもしれないと言われた親の本音|診断名より大事にしたい「困っていないならOK」の気持ち
病院で「ASD(自閉スペクトラム症)かもしれません」と言われたとき、正直なところ、どう受け止めていいのか分かりませんでした。
「うちの子、場面緘黙だろう」と思っていたし、家では普通に冗談も言うし、ふざけることも怒ることもある。
それでも、先生の一言で“特性”や“診断名”のことが急に現実味を持って目の前に現れてきた――そんな感覚でした。
もし同じように「ASDかもしれません」と言われてモヤモヤしている親御さんがいたら、この記事が少しでも気持ちを楽にするヒントになれば嬉しいです。
今回は、「ASDかもしれない」と言われてからの、僕自身の悩みや心の整理について正直に書いてみます。
ASD(自閉スペクトラム症)かもしれない――診断を受けて思ったこと
診断を受けたきっかけは、学校や家での様子を見て「もしかしたら場面緘黙かも?」と思い、専門の先生に相談したことでした。
ところが、病院の先生は部屋に入った瞬間「ASDの特徴があるかもしれません」と見立てていたそうです。
家ではリラックスして話すし、冗談も言うし、「本当にASDなの?」という気持ちが最初は正直なところでした。
「グッド・ドクター」みたいな分かりやすい特徴もないし、普段の生活に困っている様子もなかったからです。
「ASDって何だろう?」「本当に問題なのかな?」――そう考える中で、本やネットで調べたり、ASDに関する本をリビングにそっと置いてみたり。
息子もときどきパラパラと本をめくっていますが、特に説明もしすぎず、日常のなかにそっと混ぜておくぐらいが今は心地よく感じています。
特性よりも「困っていないか」が大切
ASDかもしれないと言われても、家では何も変わりませんでした。
接し方も今まで通り。ふざけたり、冗談を言ったり、ときには普通に怒ることもある。
本人も特に「困っている」と言う様子はなく、家庭の中ではリラックスできているように見えます。
「生きづらさ」という言葉もよく聞きますが、いまのところ家族の中でそれを感じる場面はほとんどありません。
もちろん学校や外の世界で疲れることはあっても、家に帰ってきたときにホッとできていれば、それだけで十分なんじゃないかと最近は思います。
大事なのは、「診断名」や「特性」よりも、「今、この瞬間、本人や家族が困っているかどうか」。
もし困っていることが出てきたときに、どうやって一緒に乗り越えるかを考えればよくて、今は特に無理して変える必要はないと感じています。
「困っていないなら、それで全然OK!」
この言葉にたどり着いてから、僕自身も少し肩の力が抜けました。
診断やラベルにとらわれすぎず、今の暮らしを大切にする――それがいちばん大事だと思えるようになりました。
「困ったときに一緒に考える」でいい
今は何も困っていない――それなら、それで大丈夫。
「困ったらそのときに一緒に考えればいい」と、肩の力を抜いて過ごすようにしています。
実際、このスタンスに落ち着いてからは、必要以上に先回りして悩むことが減りました。
もし将来、本人や家族が本当に困ることが出てきたら、そのときに一緒に悩んで、必要なサポートや工夫を考えればいい。
それまでは、無理に心配しすぎず、日々の生活を大切にしていこうと思っています。
「今が平和ならそれでOK」
このシンプルな考え方にたどり着けたことで、自分の心もずいぶん軽くなりました。
まとめ|“困っていないなら全然OK!”というスタンス
「ASDかもしれない」と言われて、正直どうしたらいいのか悩みました。
でも今は、「本人も家族も困っていなければ、それで全然OK!」というシンプルな答えにたどり着いています。
診断名や特性のラベルよりも、目の前の本人の“今”や、家族の日常を大切にすること。
無理に変えようとしなくても、困ったときに一緒に考える――そんなスタンスで十分だと実感しています。
親も迷うし、悩むもの。
それでも「困っていないならそのままでいい」と思えたことで、自分自身も少しずつ楽になりました。
同じように悩む方がいたら、少しでも肩の力を抜くヒントになれば嬉しいです。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
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