まず与えよ、道は開かれる|親子の会話から学ぶ価値観

日記(日々のこと)

アマプラとネトフリをやめて2日目。 その日の出来事の中で、ひとつ印象的な会話があった。

留守番の日曜日、ちょっと暇そうな長男

この日、僕は朝から消防の用事で不在。妻は娘を連れて実家へ出かけており、長男はひとりで留守番。 午後2時ごろに帰宅すると、彼はぽつんと「なんか暇だよ」と言ってきた。

いつもは何かしらの刺激で埋まっている時間に、ふと余白が生まれた瞬間だったのかもしれない。

ふたりでつくる昼ごはんと、ゆで卵の殻むき

せっかくだから一緒に昼食を作ることに。 ライスバーガーとラーメンを準備しようとしたが、冷蔵庫にはラーメンの具になりそうなものが見当たらなかった。

素ラーメンじゃ寂しいので、大至急ゆで卵をゆでることにした。 ちょうどいい具合にするため、沸騰後8分きっちり。 茹で上がったら、殻むきは長男にお願いした。

「僕とロボ子見ようよ」から始まった交渉

食後、長男が「僕とロボ子見ようよ」と言ってきた。 「なんで?」と聞くと、「見たいから」とシンプルな返答。

その理由では弱いかなと思い、「理由が弱いな」と返したところ、 少し考えてから「じゃあ、英語の勉強してきたら見せてくれる?」と聞いてきた。

僕の伝えたかったこと:「まずギブしてごらん」

僕は、こう話した。

まずギブしてごらん。 「見たかったから英語やってきたよ」とか、「お風呂掃除してきたから見せて」って言うのが自然じゃない? 自分から何かを差し出して、それが伝わって、相手が応えてくれるのが本来の流れだと思うよ。

すると長男はこう返してきた。

でもそれじゃ確実じゃないじゃん。 最初に条件を決めて、それをクリアしたほうが確実に見られるでしょ。

効率と確実性、でも僕が大切にしたいのは

その発想は効率的で間違ってはいない。 でも僕は、あえてこう返した。

まず与えよ。 そうすれば、道は開かれる。

ちょっと説教くさく聞こえたかもしれないけど、 この言葉がいつか、どこかで彼の中に残ってくれたらいいなと思っている。


まとめ:ギブ・アンド・テイクではなく、ギブ・アンド・オープン

人と人のやりとりに「まずギブ」という姿勢があるかどうかで、 その後の関係や信頼の深さは変わってくる。 子どもとの日常会話の中にも、そうした価値観を伝えるチャンスがあるのかもしれない。

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